●デボラ・E・リップシュタット
初来日なのですが、日本に来られたこと、この国でこの映画が公開され、私の著作が翻訳されて読んで頂けることを大変うれしく思っています。制作当初は現代に響くような作品になろうとは夢にも思っていませんでした。けれどこの映画で描かれていることは悲しいことに、まさに今日に響く内容になっていると思います。それだけにこの作品が日本の一般の方々に届くと思うととてもうれしく思います。
●木村草太
イギリスではアーヴィング氏が嘘をついた、あるいは嘘をついていないということの証明責任は、被告側(加害者とされる側)にあるという法体系になっています。アメリカでは証明責任は原告側にあって、日本法はこの点ではイギリス法に近く、被告側(名誉棄損した側)に証明責任があるということになります。
ただ日本法はアメリカ法の影響もあって、証明に失敗したとしても、被告側が十分な根拠にもとづいて話をしてきたことが証明できれば、被告側は免責される形になっています。比べてみますと、イギリス法は被告側に非常に厳しい法制度になっていることがわかります。
表現の自由はこの映画のキーワードになっています。表現の自由というのは法学的にどういうものかと言いますと、国家権力(ステップパワー)によって表現の自由を制限されない権利のこと、それを表現の自由と言います。映画の中でも語られるように、リップシュタットさんがアーヴィング氏の表現を弾圧したみたいな言い方がありますが、表現の自由というのは他の市民に自分の言論を批判されない権利ではありません。この映画の中で起きているのは、アーヴィング氏が国家権力を使って自分への批判を抑圧しようとしている。じつは表現の自由を弾圧しようとしたのは、この映画ではアーヴィン氏のほうなのです。これがすごく大事なことだと思います。
●デボラ
映画の中で描かれている通り、イギリスでは名誉棄損訴訟の立証責任が、訴えられた側にあるということを聞いて本当に驚きました。演じたレイチェル・ワイズが見事に私のショックを表現して下さったと思います。わたしは闘わざるをえなかった。なぜなら、もし私が闘わなければ、受けて立たなければアーヴィン氏がデフォルトで勝利してしまうということにつながるからです。学生に説明する時によくテニスの試合にたとえます。自分のほうが相手よりも優れたプレイヤーであっても、試合に出なければ相手がデフォルト、つまり自分が棄権したということで勝利してしまうと。そうすれば、アーヴィングはこの法廷で勝利し、自分に対しての名誉棄損、つまりホロコースト否定論者とされた名誉棄損が認められたことになってしまう。アーヴィングは続けてこう言うでしょう。わたしは否定論者ではないと。そしてガス室もなかった、ユダヤ人の抹殺計画もなかった、収容所の存在もなかった。彼のホロコーストに対する意見が正しいということになってしまうのです。イギリスの法律がアメリカとは違ったことが、私に闘わざるをえなくさせた理由でもありました。
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●木村草太
私から質問をさせて頂きます。ひとつ目の質問ですが、アーヴィングは事実を歪める人種差別主義者とロンドンタイムズで指摘されています。にもかかわらず、なぜ歴史家として一定の評価を得ていたのでしょうか。
●デボラ
アーヴィングという人物はドイツ語が流暢で、色々なことにアクセスをする手段を持っていました。たとえば、さまざまな資料、もしかしたらほかの歴史家の手には回ってこないような資料も彼の手に集まってきた。もともと極右的な思想の持ち主、あるいはその思想にシンパシーを感じている人間であると知られていた。ドイツ人からも彼がナチズムであったり第三帝国にシンパシーを感じている人間だということがよく知られていたので、たとえば、ドイツでアーヴィングが講義を行なった際に、もしかしたらそこに来ていた人から「父からこういう記録をもらっている」とか、あるいは「こういう日誌が家にあった」と渡されたこともあったと思う。ほかの歴史家たちが持っていないような資料も確かに持っていました。
エネルギッシュで、物書きとしては優れてもいました。ただいちばんの問題は、彼の書いていることをだれも精査、チェックしなかったことです。そのひとつのいい例が、ドレスデンの爆撃についての彼の出版物です。初版のときに犠牲者数は2万5千人と書いていました。ところが、その後に出された版では3万5千人、最終的にはたしか25万人いというようなことを記述していたんです。
わたしもドレスデンの事件は大きな悲劇だと感じているので、小さな犠牲だったと言おうとしているわけではありません。しかし、歴史家の共通認識として命を落とした方は1万9千人と言われています。彼の言う25万人とはだいぶ隔たりがあるわけです。彼のこういう物ごとの見せ方は、ドイツ人を被害者にみせるためのものでした。みんなそれを感じてはいたのですが、だれもチェックしようとしなかった。著書には出典の脚注もあるわけですが、それをたどって嘘だったことを、だれも突き止めようとはしなかった。しかしそれが少しずつチェックされ始め、そういう動きになった頃に彼が私を訴えたんです。しかしこの裁判を通して、彼の嘘や歪曲を暴くことが出来ました。初めてのことだったわけです。それまでは彼が言っていることを額面通りに受け止めてしまっていたということがあったと思います。
●木村草太
なるほど、よく分かりました。本の中ではアーヴィングさんがこの訴訟のあと、訴訟費用の支払いで破産したという描写もありますのでぜひご覧いただければと思います。
ふたつめの質問をさせて頂きます。第二、第三のアーヴィング、あるいは日本版のアーヴィングが登場したときに、歴史のアマチュアであるわたしたちはどこに気をつければ嘘を見抜けるでしょうか。
●デボラ
自己破産についておっしゃったので、そのことでひとこと申し上げたいです。わたしとともに訴えられたペンギン出版UKが、彼の持っていた確か15万ポンドくらいを差し押さえたことから、彼はその後自己破産したと言っています。でも、たとえばアメリカに貯蓄があるとか、隠し財産があるとか、実際に自己破産だったのかは疑わしいところもあります。
それとは別に彼は、ほかの歴史家が見たこともないような第三帝国時代の記録や資料をけっこう持っていました。たとえば、ニュルンベルク裁判の被告が獄中で綴った手記とか、ほかの専門家が見たことがないような写真であるとか。ですから私が裁判所へ行って申請をすれば、それをお金の代わりに受け取ることも出来ました。それらを売却することによって、裁判費用を捻出することも出来たかもしれません。私の裁判費用は200万ドルになっています。たくさんの支援者のお陰もありまして、そして自分自身も捻出して支払いましたが、いくばくかのお金や彼が所有している資料を受け取ることが出来れば、支援者の方々へ少しでもお返しできると一瞬考えました。でもそれはやめようと決めました。なぜかというと、アーヴィング側が裁判を引き延ばそうとしていましたし、なによりもデボラ・E・リップシュタットによって僕は自己破産した、彼女が僕の金を奪ったとは絶対に言わせたくなかった。明白にしたいのは、彼から1ペニーも頂いていないこと。彼は自分のWEBサイトで訴訟費用は600万ドルかかったと言っています。デボラによってお金を奪われたという言い方をしていますが、もちろんそれは嘘になります。
●木村草太
リップシュタット先生は今年4月のプレゼンで、真実は攻撃をされているとおっしゃっています。私たちは真実への攻撃に対してどのように反撃すればいいのでしょうか。私たちは何をするべきでしょうか。
●デボラ
簡単な答えはありませんが警鐘を鳴らす、灯台でありたいと思います。今日、世界にはSNSというものがあって、多様なメディアのプラットフォームがあります。しかも私たちは政治家や政治的リーダーがでっち上げをして、それをまるで真実のように言いつのる、そんな時代に生きているわけです。わたしたちが出来ることは、事実の証拠を要求すること。根拠を要求することだと思います。
個人ですべてはできないかもしれない。メディアというものの力も必要になってくると思います。たとえば、アメリカで議員がなにか言った、あの大統領が何か言った。大統領と言ったらトランプだとわかっちゃいますね(笑)。その根拠は?証拠は?。証拠がなかったら精査をして、なかったということをメディアや個人がきちっと伝えていく。精査していくことが重要なのではないでしょうか。本当ならば大統領選前からされるべきだったんですが、いまになってアメリカのメディアはやっとそういうことをし始めています。
そして個人としてはたとえば、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムいろいろありますが、何かをシェアする前にはたしてこれは本当なんだろうかと立ち止まり、自分で精査することが必要になってくると思います。最近こういうことがありました。フェイスブックに私があまり政治的に好ましく思っていない人物について書かれたものを目にしました。もともと極右の人ではあるんですが、それを見たときにその記事をシェアしそうになった。でもちょっと待てよと思ったんです。こんなとんでもないことを口にしていたのであれば、当然別のメディアも記事にするであろうと。ちょっと調べてみようと思ったら、見事にグーグル先生が教えてくれました、ソースはたったひとつでした。その媒体は、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナルのようなリスペクトされている媒体ではなく、名前も知らないような媒体だったので疑念を感じました。私たちが何かをシェアする時は健康的な疑念を持って、それがどこからきているのか、出典は?と精査していくことが重要ではないかと思います。
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